大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和48年(う)2959号 判決 1977年7月27日

本籍

群馬県前橋市本町三丁目三番地

住居

同町三丁目一五番五号

菓子製造販売業

山崎次郎

大正一二年八月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四八年一〇月二七日前橋地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官齋藤吾郎、粟田昭雄出席のうえ審理をし、つぎのとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人飯野春正、鶴見祐策共同作成の控訴趣意書(ただし、第一点の二を除く。)に、これに対する答弁は、検察官齋藤吾郎提出にかかる答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これを引用し、これに対して、当裁判所は、つぎのとおり判断する。

第一、事実誤認の主張について。

一、所論は、被告人の申告所得金額が年々低額化したのは被告人の営業の実態によるものであるのに、昭和三八年分、同三九年分につき推計による税務署の一方的な更正決定、右各年分および同四〇年分、同四一年分における各申告所得金額が低下したことから、同四〇年分、同四一年分の各所得税確定申告に際し過少な申告をした疑いが抱かれるにいたつたと認定した原判決には事実の誤認がある(控訴趣意第一点一の(一))、というのである。

そこで、記録を調査し、被告人の昭和三八年分から同四一年分の各所得税確定申告書、被告人に対する同三八年分および同三九年分各所得税の更正決議書(東京高等裁判所昭和四八年押第八六一号の一ないし六)を総合すると、被告人の申告所得額は昭和三八年分三六万七六三九円、同三九年分四二万五四二一円、同四〇年分三六万七五〇〇円、同四一年分一八万二〇六〇円と昭和三九年以降逐年低額化していたこと、被告人の菓子製造販売業の営業状態にはいちじるしい変動が認められないうえ、他の同種営業は毎年一割程度の所得額が増加しており、他方、所轄税務署の推計による調査所得額との間にいちじるしい差があつたこと、そこで、所轄税務署長は被告人に対する所得額を昭和三八年分につき六九万一九〇五円、同三九年分につき一二四万四三八一円とそれぞれ更正決定をしたこと、このようなことから所轄税務署係官は被告人の同四〇年分、同四一年分の各所得税確定申告につき過少申告をした疑いを抱いたことを認めることができる。右の事実に徴すると、前記各更正決定が推計による一方的なものであることを考慮にいれても、所轄税務署係官が被告人の昭和四〇年分、同四一年分の各所得税確定申告に際し過少申告をした疑いを抱くにいたつたことについては、客観的、合理的な理由があるものということができる。そこで原判決には所論の指摘するような事実誤認の違法はない。論旨は理由がない。

二、所論は、原判示第一の(一)の(1)の事実につき、原判決は係官が仕入、売上、経費、資産、負債に関する帳簿、証憑書類、メモおよび預金通帳の提示を得て検査しようとした旨判示しているが、所轄税務署係官は被告人に対し提示すべき帳簿書類および調査事項を明確にしていなかつたのであるから、右認定のような具体的な文書の提示要求ではなく、したがつて検査しようとしたことにあたらないし、さらに、被告人が昭和四一年六月の前橋民主商工会代表者と前橋税務署総務課長との話し合いにより、調査理由の開示を求めるとともに、どういうところが見たいのか、その点を指摘して貰えばその個所を見せる旨申し出たのにかかわらず、これに対応した行動をとらず、単に注意書を読みあげて退去したのであるから、被告人に検査拒否の行為が存しなかつたというべきであるのに、いずれもこれを積極的に認定した原判決には、事実誤認がある(控訴趣意第一点の一の(二)および三)、というのである。

そこで、所論に基づき、この点について検討するに、原判示挙示の証拠によれば、所轄税務署係官が被告人の営む営業に関する仕入、売上、経費、資産、負債に関する帳簿、証憑書類、メモおよび預金通帳の提示を求めようとしたこと、その際前記係官は所論指摘のとおり提示を求める書類の具体的内容を明らかにしていないことが認められる。しかし、本件のように、相手方がどのような帳簿書類を備えているか不明である場合の所得税調査において、帳簿書類の提示を求める場合、その書類は、当該所得に関し通常備え付けられた前記のような書類を意味することは明らかであるから、右のように前記係官が提示すべき具体的な書類を明らかにしなかつたからといつて、それが直ちに所論のような「検査をしようとしなかつた」ということには当らない。

また、原審証人湯沢敏夫、宮原清、古牧重雄の各証言、原審および当審における被告人の供述を総合すると、所轄税務署職員は昭和四一年一一月二一日から同年一二月七日まで四回にわたつて被告人の昭和四〇年分所得税の確定申告に関して調査をした際、被告人が多忙であり、また帳簿に関係している者がいないのでわからないなどと称していたが、ようやく売上関係の一部を記載した帳簿のほか、領収書、売上伝票の存在および取引先として松清の名を明らかにしたに止つたこと、そこで、同税務署係官宮原清、古牧重雄、湯沢敏夫の三名は、同四二年一月二五日午前一〇時ころ、被告人の店舗兼居宅に被告人を訪れて同人に対し質問検査章を示して、昭和四〇年分の所得税調査のため帳簿書類の提示を求めたところ「急に来たつて駄目だ、一週間前に通知しろ、この前もいつただろう。」、「三月一五日に申告している、済んでいる。」などと申し向け、右係官らが「調査は済んでいない」と答えるや「はつきり間違つているところを云え、云えなければ駄目だ。」と述べ、さらに右係官から過少申告の疑いで調査する旨申し向けられるや、「それだけでは駄目だ。」などといつて応じなかつたこと、そこで右係官らは検査拒否については罰則がある旨の右湯沢の署名した注意書を読みあげて検査に応ずるような反省を求めたところ、被告人は「こんなものわかつているから持つて帰れ。」などといつて右注意書を投げ返して検査に応じなかつた事実が認められる。以上の事実によれば、被告人は、所轄税務署係員が昭和四〇年分所得税確定申告に関して帳簿検査をしようとしたのに対し、これに応じないで検査を拒んだことは明らかである。

なお、前橋民主商工会と前橋税務署総務課長との話し合いの点について一言するに、関係証拠によれば、前橋民主商工会の代表と称する約五〇名の者は昭和四一年六月前橋税務署長に面会を求めたが不在であつたため同署総務課長と約二時間にわたつて会談したこと、その際話題とされたのは所論の民主商工会に加入している者の調査の場合には税務署においてその理由を説明することなど一〇項目の要求に及んだが、その多くは総務課長が独断で返答できないものであつたこと、右調査理由の告知についても、その要求する理由の程度は、所論も指摘するように、税務署で立証できるだけの理由、納税者の納得できるだけの理由といつた厳しいものであつたこと、右総務課長も理由告知の要求に対しては「よくわかる」と理解を示し、個人的な見解を示すこともあつたが、論点が多岐にわたり各人各様の発言をしていたため答弁の趣旨があいまいとなり、その発言内容、前後の模様からみても、民主商工会加入者に対する調査の際に所論のような理由告知をすべき旨の要求を承諾したものとは認められない。したがつて、右総務課長との話し合いを根拠に調査理由の開示を要求することはできない。

以上説示したように原判決には所論指摘の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

三  所論は、原判示第一の(一)の(2)の事実につき、所轄税務署係官は帳簿書類等を特定せずにその提示を要求したので、被告人において「どういうところを見たいのか、その理由を云えば見せる。」旨申し向けたところ、「それでは質問に答えてくれ。」といつて質問に入つたのであるから、検査要求を撤回したものであり、また、被告人は経費、資産、負債等の関係については全部答弁しており、取引銀行、?の仕入先については前年の調査で明らかであり反面調査もなされているから、所得税法二三四条一項にいう「必要な質問」にあたらないし、米の仕入先は氏名を知らなかつたため答えられなかつたのであるのに、原判決が検査を拒み、質問に答弁しなかつたと認定したのは、事実誤認である(控訴趣意第一点の(三))、というのである。

所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果を総合して検討すると、前記係官三名は昭和四二年一月二六日午後三時四〇分ころ前記被告人方に赴いて被告人に対し同四〇年分の所得税調査のため重ねて帳簿書類等の提示を求めて検査に応ずるよう申し入れたところ、被告人が「駄目だ、駄目だ、とにかく三月一五日に納めて済んでいるんだ、はつきり間違つているところを言つてくれ、そうでないと見せないよ。」などといつて帳簿検査に応じなかつたので、右係官らは止むなく質問に移らざるを得なかつたこと、右質問において被告人は、資金の借入先、従業員の給料、店舗およびその敷地の所有関係については答えたが、米の仕入先については「闇屋だから名前は口外しない。」、?の仕入先、取引銀行については、「調べてわかつているだろう。」、米と?の仕入先についての再度の質問では「都合の悪いことは答えないよ。」、松清以外の製品取引先については、「いわないよ、都合の悪いことはいわない。」などと述べたことが認められる。右の事実によれば、被告人は、前記係官らの帳簿書類等の提示要求に応ぜず、また、昭和四〇年分所得税調査について必要な質問に答えなかつたものというべきである。そして、このように、前記係官らをして書類等の提示要求から質問に移ることを余儀なくさせた場合には、検査拒否となることは当然であつて、格別不合理な点も存しないし、もとより検査要求を撤回したものと認めることはできない。なお、前年度の所得税調査で判明した取引銀行、?の仕入先などが当年度も同じであるとは限らないし、まして、この点の質問に対する被告人の「調べてわかつているだろう。」との反問をもつて前年と変りない旨の返答と解することはできず、また、所得を正確に把握するためには、反面調査の行なわれている場合であつても、さらに本人について調査する必要があることもち論であり、松清以外の製品取引先についての「都合の悪いことはいわないよ。」との返答をもつて、応答を保留したと解すること自体無理なことである。原判決には所論の指摘するような事実誤認の違法はない。論旨は理由がない。

四  所論は、原判示第一の(二)の事実につき、所轄税務署係官らが被告人方に赴いた際被告人は風邪のため発熱就寝し調査に応じ得ない状態にあり、しかも、当時反面調査も進行して調査の必要がなく、所轄税務署長の被告人に対する告発を維持しこれを強固にするため、右係員らは被告人の申し入れを無視して強引に調査をしようとしたものであるから適法な検査といえないばかりでなく、被告人が電話した警察署の警察官と右係官らが話し合つた結果、右係官らにおいて検査要求を撤回して退去したのに、原判決が、検査に応ぜず、これを拒んだと認定したのは事実誤認である(控訴趣意第一点の四)、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調の結果を併せ考えると、前記係官三名は昭和四二年六月二一日午前九時四〇分ころ前記被告人方に赴き、?い巻きを着て出て来た被告人に対し昭和四〇年分、同四一年分の各所得税確定申告に関して帳簿書類等の検査を申し入れたところ、被告人は「だめだ、この前いつただろう。はつきり間違つている点を知らせない限り駄目だ。」などと返答して奥の方に入つたこと、そこで右係官らがさらに検査に応ずるよう申し入れたところ被告人は奥の方から「うるさいこの野郎、営業妨害だから出て行け、出て行け。」などといつて前橋民主商工会から事務局員を呼び寄せたこと、被告人とともに右係員らと応待していた右事務局員は警察署に電話をしその後宮原清がこれに代つて右警察署員と話していたが、結局右係官らは被告人に対する前記検査を断念して立ち去つたことを認めることができる。以上の事実によると、当時被告人が風邪のため就寝していたとしても、右検査に応じ得られない程度の症状にあつたものとは認めることができないし、かりにこの点をしばらく措くとしても、単に?い巻を着ているというだけで病状についての説明もないまま、右のような言動に及んだ被告人に対し、検査を申し入れこれを始めようとしようとした前記係官らの行為が社会通念上相当な限度を逸脱した違法、不当のものであるということはできず、したがつて右調査は被告人に対する告発を維持強固するためになされたもので、右検査要求を撤回して退去したものであるとする所論に賛同することはできない。原判決には、所論のような事実誤認の違法はない。論旨は理由がない。

第二点法令違反の主張について。

一、所論は、原判決が適用した所得税法二四二条八号、二三四条一項は構成要件として不備、不明確であり、行政上の義務違反の制裁法規としてあまりにも不合理、不均衡であるから、憲法三一条に違反して無効である(控訴趣意第二の一、二)、というのである。

しかしながら、所得税法二三四条一項は、同法二四二条八号の罪の構成要件として、その意義が明確を欠くものではなく(最高裁昭和四五年(あ)第二三三九号、同四八年七月一〇日第三小法廷決定刑集二七巻七号一二〇五頁参照。)、また、国家財政の基本となる徴税権の適正な運用を確保し、所得税の公平確実なる賦課徴収を図るという公益上の目的とその必要性にかんがみると、収税官吏の検査を正当な理由なく拒む者に対し、所得税法二四二条所定の刑罰を加えることによつて強制することが、あながち不均衡、不合理なものといえないから、右法条を違憲とする所論を容れることができない。論旨は理由がない。

二、所論は、本件における質問、検査は、事前の通知、調査理由、検査の必要性についての説明がなく、また、一方的に包括的な調査を強要したものであるから、憲法三五条、三八条に違反して無効である(控訴趣意第二点の三および四)、というのである。

ところで、所得税の終局的な賦課徴収に至る過程においては、原判示の更正決定の場合だけでなく、予定納税額減額申請など税務署その他の税務官署による処分のなされるべきことが法令上規定され、そのため事実の認定と判断が要求される場合には、その判断に必要な範囲内で職権による調査が行なわれることは法の当然許容するところである。このような観点から、所得税法二三四条一項の規定がおかれるにいたつたものであるが、同項にいう質問、検査の範囲、程度、時期、場所など実施の細目については、収税官吏の合理的な選択に委ねられており、実施日時、場所の事前通知、調査の理由および必要性の告知のごときものも、質問検査を開始するための法律上の要件とされているものではなく(前記最高裁決定参照。)、このことは、同法二四二条八号を適用する場合においても、異なるものではない。所論は、独自の観点に立つて原判決を論難するもので失当である。論旨は理由がない。

第三、理由不備について。

所論は、原判決が被告人に対し所得税法二四二条八号、二三四条一項の刑事責任を問いながら、その構成要件である同法二三四条一項の「必要」性について判示していないのは理由不備である(控訴趣意第三点)、というのである。

しかしながら、原判示は、その理由中罪となるべき事実の第一の冒頭において「被告人山崎は…………菓子製造販売業を経営し昭和四〇年分および昭和四一年分の所得税の納税義務あるものと認められる者であるところ」と判示し、続いてその(一)において原判示第一の(一)の(1)、(2)の調査に及んだ経緯を明らかにしており、さらに原判決は、同第一の(二)の前段において、その後段の調査に及んだ経緯を明らかにしており、右明らかにされた各経緯によると、本件各調査につき、所得税法二三四条一項に規定する「必要」のあつたことは、十分看取することができるから、ことさらに右の「必要」性を文字を用いて表現しなかつたからといつて理由不備の違法があるということはできない。原判決に所論のような違法はない。論旨は理由がない。

第四、審判の請求を受けない事実について判決したとの点について。

所論は、被告人は「納税の義務がある者」、として起訴されたのに、原審が、訴因変更の手続をとらずに、被告人を「納税義務があると認められる者」と認定したのは、審判の請求を受けない事件について判決した違法がある(控訴趣意第四点)、というのである。

しかしながら、所得税法二三四条一項にいう「納税義務がある者」とは、すでに法定の課税要件が充たされて客観的に所得税の納税義務が成立し、いまだ適正な税額の納付を終えていない者のほか、当該課税年が開始して課税の基礎となるべき収入の発生があり、これによつて将来終局的に納税義務を負担するにいたるべき者をいい、「納税義務があると認められる者」とは、権限のある税務署職員によつて、右の意味での納税義務があると合理的に推認される者を指すと解すべきもの(前記最高裁決定参照。)であつて、後者は前者を包含する概念であるが、その実体を同じくし、しかも、右条項における両者の受忍義務の点において相違は存しないから、本件において、「納税義務がある者」として起訴された被告人を、訴因変更の手続をとらずに、「納税義務があると認められる者」と認定しても、被告人の防禦に実質的な不利益を齎らすものではなく、もとより審判の請求を受けない事件について判決したことにもならない。原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。

第五、不法に公訴を受理したとの点について。

所論は、本件公訴は検察官が民商弾圧の政治的意図に基づき公訴権を濫用してした違法なものであるのに、原審がこれを受理したのは違法である(控訴趣意第五点)、というのである。

本件調査が民商弾圧政策の一環としてなされたとの事実を認めるに足る証拠が存しないばかりでなく、本件調査にいたるまでの経緯、本件犯罪の罪質、態様、手段、などにかんがみると、本件公訴の提起が検察官の公訴権の濫用によるものであるとも認められないから、原審において、不法に公訴を受理した違法があるとはいえない。論旨は理由がない。

第六、以上のとおり、本件控訴は理由がないから、刑訴法三九六条によつてこれを棄却し、同法一八一条一項本文により、当審における訴訟費用は、全部これを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 東徹 裁判官 長久保武 裁判官 中野久利)

◎ 第一審(前橋地方裁判所昭和四八年一〇月二七日判決、有罪、被告人控訴)

本資料八四号七三二頁参照

(注) 右第一審判決において有罪とされた被告人鈴木千三については、控訴審係属中である昭和五一年四月一日に死亡したため、東京高等裁判所において昭和五一年六月二日公訴棄却の決定があつた。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例